この度出土したお茶の水橋の都電遺構は、都電錦町線が昭和19年に休止になったときからアスファルトの下で眠っていたとの記述を見かけますが、それは正確ではなく、昭和40年代前半までは、路面に露出したままであったが、その後アスファルトで覆われたとの情報があります。
国土地理院の「地図・空中写真閲覧サービス」を用いて、保存会メンバーの清水達也が調査したところによれば、1966(昭和41)年6月29日に撮影された空中写真では、お茶の水橋に軌道のようなものが確認できるが、1971(昭和46)年4月23日に撮影された空中写真では軌道のようなものは確認できず、アスファルトで覆われているように見えるとのことです。
その間の1969(昭和44)年1月18日(土)に、「東大安田講堂封鎖解除のため機動隊が学内に入り、攻防戦を繰り広げた。籠城学生を支援し順天堂病院から東大構内を目指そうとした反日共系の学生は明大前にバリケードを築き、敷き詰めてあった歩道板を割って投石用とし、御茶ノ水橋で阻止していた機動隊と衝突した。機動隊も催涙弾の水平撃ちで対抗した。」との記事があります(大好き神田「神田の街を学生運動が席巻したころ③」)。その後のお茶の水橋周辺の復旧と、都電遺構のアスファルトで覆われたことは、関係がある可能性があります。1971(昭和46)年春の時点では、すでに車道はアスファルトだったとの証言も寄せられています。
そこで、保存会では、お茶の水橋の都電遺構がアスファルトの下で「眠りについた」のはいつなのか、正確な時期を特定するために、1969(昭和44)年から1971(昭和46)年ころのお茶の水橋の状況に関する情報を募集いたします。写真、新聞記事、証言等、どんな小さなものでも歓迎いたします。当ウェブサイト右上の「問合せ・情報提供・ご意見」ページからお寄せ下さい。よろしくお願いいたします。
(以上、2020-01-29 記)
もちろん、上記の期間に限らず、お茶の水橋の都電遺構に関するあらゆる情報を募集しております。特に、現在のお茶の水橋が開通した1931年から戦前までの錦町線の走行シーンや、休止になってからアスファルトで覆われるまで、レールと敷石が露出していた時期の写真を熱望しております。個人的に撮影された写真はもちろん大歓迎ですが、ネット上の情報、文献等に関する情報もありがたく存じます。
情報は、当ウェブサイトの「問合せ・情報提供・ご意見」、またはこの投稿に対するコメントでお寄せ下さい。また、Twitter上でハッシュタグ「#ochatoden」を付けてつぶやいていただけましたら、こちらから取りに伺います。よろしくお願いします。
(以上、2020-01-29 9:51 追記 2020-02-01 微修正)
昭和56年に床板に手を付けない形で橋桁補強をしているようですね。
https://www.jstage.jst.go.jp/article/journalhs2004/24/0/24_0_129/_pdf/-char/ja
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