第2工区の撤去が始まりました

報道や各SNSでも話題となった第2工区ですが、早速撤去作業が始まりました。場所柄大変残念ではありますが、枕木や犬釘/ボルトなど、掘らないと見えない部分もあります。また、レールは全てが溝付きレールではないのでは?という声もあります。現地に行かれる皆さまは、警備員さんの指示に従いマナーを守りつつ、皆さんならではのレポートをぜひ保存会にお寄せください。

片側は溝付きレールではない?
枕木も現れました。レールはは犬釘ではなくボルト固定ですね。

【情報求む】お茶の水橋の都電遺構が眠りについた時

この度出土したお茶の水橋の都電遺構は、都電錦町線が昭和19年に休止になったときからアスファルトの下で眠っていたとの記述を見かけますが、それは正確ではなく、昭和40年代前半までは、路面に露出したままであったが、その後アスファルトで覆われたとの情報があります。

国土地理院の「地図・空中写真閲覧サービス」を用いて、保存会メンバーの清水達也が調査したところによれば、1966(昭和41)年6月29日に撮影された空中写真では、お茶の水橋に軌道のようなものが確認できるが、1971(昭和46)年4月23日に撮影された空中写真では軌道のようなものは確認できず、アスファルトで覆われているように見えるとのことです。

その間の1969(昭和44)年1月18日(土)に、「東大安田講堂封鎖解除のため機動隊が学内に入り、攻防戦を繰り広げた。籠城学生を支援し順天堂病院から東大構内を目指そうとした反日共系の学生は明大前にバリケードを築き、敷き詰めてあった歩道板を割って投石用とし、御茶ノ水橋で阻止していた機動隊と衝突した。機動隊も催涙弾の水平撃ちで対抗した。」との記事があります(大好き神田「神田の街を学生運動が席巻したころ③」)。その後のお茶の水橋周辺の復旧と、都電遺構のアスファルトで覆われたことは、関係がある可能性があります。1971(昭和46)年春の時点では、すでに車道はアスファルトだったとの証言も寄せられています。

そこで、保存会では、お茶の水橋の都電遺構がアスファルトの下で「眠りについた」のはいつなのか、正確な時期を特定するために、1969(昭和44)年から1971(昭和46)年ころのお茶の水橋の状況に関する情報を募集いたします。写真、新聞記事、証言等、どんな小さなものでも歓迎いたします。当ウェブサイト右上の「問合せ・情報提供・ご意見」ページからお寄せ下さい。よろしくお願いいたします。

(以上、2020-01-29 記)

もちろん、上記の期間に限らず、お茶の水橋の都電遺構に関するあらゆる情報を募集しております。特に、現在のお茶の水橋が開通した1931年から戦前までの錦町線の走行シーンや、休止になってからアスファルトで覆われるまで、レールと敷石が露出していた時期の写真を熱望しております。個人的に撮影された写真はもちろん大歓迎ですが、ネット上の情報、文献等に関する情報もありがたく存じます。

情報は、当ウェブサイトの「問合せ・情報提供・ご意見」、またはこの投稿に対するコメントでお寄せ下さい。また、Twitter上でハッシュタグ「#ochatoden」を付けてつぶやいていただけましたら、こちらから取りに伺います。よろしくお願いします。

(以上、2020-01-29 9:51 追記 2020-02-01 微修正)

 

 

 

都電遺構がTwitterで話題に

いよいよ御茶ノ水駅前のお茶の水橋にある都電時代の石畳と線路が撤去される🛤 – Togetter https://togetter.com/li/1459812 @togetter_jpさんから

現地には、見学される方が多く駆けつけて下さっています。お茶の水橋都電レールに関心を持って下さるのは大変ありがたいのですが、現地は交通量も多く、24時間交代制で警備の方が常駐されています。警備の方の指示に従って、安全にはくれぐれもご留意下さい。

 

第2区画からレールと敷石が出土

今朝(2020年1月23日)のお茶の水橋の様子です。工事は第2区画に進んでおり、表面のアスファルトが剥離され、何と、レールと敷石が、ほぼ原形と思われるかたちで出土しています。

現場に行くことができる方は、ぜひ、足をお運び下さい。

敷石、美しいです。カーブに合わせて敷石が刻まれています。この上を都電が走っていた様子にとどまらず、街全体が手作りだった戦前の街全体の光景が目に浮かぶようです。ホンモノが持つ力を感じます。

ただし、第2区画全体に、さいの目状にノコギリが入れられており(50cm四方ほどでしょうか。)、敷石もレールも切り刻まれてしまっています。さいの目のノコギリは、JRお茶の水駅の出入り口前のトラックの下あたりまで入れられていました。

千代田区からは、ノコギリを入れる工法は、予算と工期の関係上、致し方ないと伺っています。ですが、これだけ美しい遺構が切り刻まれてしまっている痛ましい様子は、胸に迫るものがあります。

幸い、もう1本線路はありますので、そちらは何とか原形をできるだけ保つ形で保存していただけないか、保存会として働きかけていきたいと考えています。

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