大島一朗先生から「お茶の水橋の都電レール遺構についての私見」を頂きました

鉄道レールについてとても詳しく研究されている大島一朗先生(産業考古学会理事)が、今回出土した「溝付きレール」と「官営八幡製鉄所製の溝なしレール」について、大変詳細な所見を送って下さいました。先生のご承諾を頂いてここに公開します(PDF版とJPEG版は同じものです。)。

JPEG版:

なお、お茶の水橋の現場からは、米国Lorain Steel社製のレールも出土したとの情報もあり、現在、千代田区に確認をお願いしています。

産経新聞に都電遺構の美しい写真が掲載されました

2020年2月13日付けの産経新聞Web版(産経フォト)に、今回出土した都電遺構の写真が掲載されました。

本日(2020年2月13日)現在、都電遺構はほぼ全て撤去されてしまいましたが、産経新聞の写真は、都電遺構の最も美しかった瞬間を、4枚の写真に、見事に記録して下さっています。プロの作品に感嘆しています。

当保存会にも、一言触れて下さっています。

カメラマンの萩原悠久人様、ありがとうございました。


【路上感撮】都電のレールが突如出現https://www.sankei.com/photo/story/news/200213/sty2002130001-n1.html?fbclid=IwAR2M8hgssERdXC1bSw9m5Dt0CXo0nP7eOye4ectHfCd28eIbjHh4vlABMmU

「お茶の水橋都電遺構」の産業遺産としての価値

FacebookグループとTwitterを中心とする保存会の活動を通じて、「お茶の水橋都電遺構」の産業遺産としての価値に関する情報が、たくさん集まってきました。集合知の力の大きさに感謝しております。ありがとうございます。

保存会執行部において、「お茶の水橋都電遺構」の産業遺産としての価値に関する情報をとりまとめた参考資料を作成しました。問題提起にとどまる事項も多く、保存会としてさらに検討を続けるとともに、学術専門家の方々が、本格的に取り上げて下さることを希望・期待しております。

お茶の水橋から「官営八幡製鉄所」製のレールが出土

お茶の水橋からは、これまで、1930年英国製の「溝付きレール」の他に、「溝なしレール」も出土していました。この、「溝なしレール」の写真を千代田区からご提供頂き、保存会にて分析したところ、官営八幡製鐵所で1930年に製造された国産のレールであることが判明しました。

(千代田区よりご提供)
(千代田区よりご提供)

「官営八幡製鐵所」とは、1901(明治34)年に操業を開始し、日本の製造業を支えてきた、教科書にも載っているあの著名な製鉄所です。http://www.japansmeijiindustrialrevolution.com/site/yawata/component01.html


上の写真の左端に、官営八幡製鉄所のマークが刻まれており、右には「1930」の文字が見えます。

官営八幡製鉄所のマーク

また、このレールは、「ハイ・ティーレール」という、路面電車専用のレールであることもわかってきました。

保存会では、さらに、お茶の水橋から出土したレールの価値について分析を進めて参ります。

【情報求む】お茶の水橋の都電遺構が眠りについた時

この度出土したお茶の水橋の都電遺構は、都電錦町線が昭和19年に休止になったときからアスファルトの下で眠っていたとの記述を見かけますが、それは正確ではなく、昭和40年代前半までは、路面に露出したままであったが、その後アスファルトで覆われたとの情報があります。

国土地理院の「地図・空中写真閲覧サービス」を用いて、保存会メンバーの清水達也が調査したところによれば、1966(昭和41)年6月29日に撮影された空中写真では、お茶の水橋に軌道のようなものが確認できるが、1971(昭和46)年4月23日に撮影された空中写真では軌道のようなものは確認できず、アスファルトで覆われているように見えるとのことです。

その間の1969(昭和44)年1月18日(土)に、「東大安田講堂封鎖解除のため機動隊が学内に入り、攻防戦を繰り広げた。籠城学生を支援し順天堂病院から東大構内を目指そうとした反日共系の学生は明大前にバリケードを築き、敷き詰めてあった歩道板を割って投石用とし、御茶ノ水橋で阻止していた機動隊と衝突した。機動隊も催涙弾の水平撃ちで対抗した。」との記事があります(大好き神田「神田の街を学生運動が席巻したころ③」)。その後のお茶の水橋周辺の復旧と、都電遺構のアスファルトで覆われたことは、関係がある可能性があります。1971(昭和46)年春の時点では、すでに車道はアスファルトだったとの証言も寄せられています。

そこで、保存会では、お茶の水橋の都電遺構がアスファルトの下で「眠りについた」のはいつなのか、正確な時期を特定するために、1969(昭和44)年から1971(昭和46)年ころのお茶の水橋の状況に関する情報を募集いたします。写真、新聞記事、証言等、どんな小さなものでも歓迎いたします。当ウェブサイト右上の「問合せ・情報提供・ご意見」ページからお寄せ下さい。よろしくお願いいたします。

(以上、2020-01-29 記)

もちろん、上記の期間に限らず、お茶の水橋の都電遺構に関するあらゆる情報を募集しております。特に、現在のお茶の水橋が開通した1931年から戦前までの錦町線の走行シーンや、休止になってからアスファルトで覆われるまで、レールと敷石が露出していた時期の写真を熱望しております。個人的に撮影された写真はもちろん大歓迎ですが、ネット上の情報、文献等に関する情報もありがたく存じます。

情報は、当ウェブサイトの「問合せ・情報提供・ご意見」、またはこの投稿に対するコメントでお寄せ下さい。また、Twitter上でハッシュタグ「#ochatoden」を付けてつぶやいていただけましたら、こちらから取りに伺います。よろしくお願いします。

(以上、2020-01-29 9:51 追記 2020-02-01 微修正)

 

 

 

都電遺構がTwitterで話題に

いよいよ御茶ノ水駅前のお茶の水橋にある都電時代の石畳と線路が撤去される🛤 – Togetter https://togetter.com/li/1459812 @togetter_jpさんから

現地には、見学される方が多く駆けつけて下さっています。お茶の水橋都電レールに関心を持って下さるのは大変ありがたいのですが、現地は交通量も多く、24時間交代制で警備の方が常駐されています。警備の方の指示に従って、安全にはくれぐれもご留意下さい。

 

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